07.24
川中島古戦場
翌朝はゆっくりチェックアウトし
駅前のそば亭 油やへ。
戸隠おろしそば
連日、唐揚げとそばしか食べていない気がしますが。 (´∀`*;)ゞ
バスの1日券を購入。
長野と言えば善光寺。
時間があれば寄りたいなぁとは思っていましたが
でも、私が向かった先は・・・
ドーン
景虎さま~!!
武田のお屋形様
合戦図を見ているだけでも大興奮の
川中島古戦場に行ってきました。
最も激しい戦いだったとされる第4次川中島合戦では
武田信玄と上杉謙信の一騎打ちがあったと伝わり
この合戦で武田方の武田信繁(信玄の弟)、山本勘助など有力な家臣が戦死しています。
三太刀七太刀之跡
一騎打ちの際、
信玄さんは謙信さんから三太刀を受け
軍配、腕と肩に傷を負ったが
後に軍配を調べたところ、刀の跡が七箇所あったと言われています。
執念の石
武田信玄の危機一髪を救ったのが家臣の原大隅
その原大隅は上杉謙信を取り逃がしてしまい
無念で傍にあった石を槍で通したといわれる。 いやームリムリムリ
一騎打ちの像のすぐそばには
首塚がありました。
戦のあと、武田信玄は海津城主・高坂弾正に命じ
戦死者を敵味方なく手厚く葬った塚の一つ。
これを知った上杉謙信は感激し、
武田領が塩不足に悩んだ際には塩を送り、恩に報いたといわれています。
古戦場は史跡公園になっていて
敷地内には長野市立博物館があります。
玄関にはこんなコーナーが。
館内には特に撮影禁止の注意書きが見当たらないので
受付まで戻って尋ねてみたら
「フラッシュなしでしたら、二階の山車以外は自由にどうぞ」とのこと。
「収穫の秋」と題されていましたが、ちょっと怖い。
ジオラマ好きにはたまらない一コマ。
長野の地形に始まり、
弥生時代からの歴史が順に展示されています。
善光寺と信仰についてのコーナー
川中島合戦図屏風
全く説明が書いていないので
目を皿にして、舐めるように見て
やっと
謙信 信玄太刀打を見つける
左が信玄 右が謙信
だから何?
と言われればそれまでですが・・・・
ちょっとスッキリ。
武田二十四将
真田昌幸も真田幸隆(父)、真田昌輝(兄)とともに描かれています。
隣には真田信繁
じっくり博物館を堪能した後は
公園敷地から見えていた土手を登ってみる。
当時最強と言われていた武田軍。
互角に戦った上杉軍。
両者がこの川中島で11年もの歳月をかけて戦い。
結局勝敗はつかず。
後年、天下統一を果たした豊臣秀吉はこの川中島を訪れ
「はかのいかぬ戦をしたものよ」と評したそう。
後世まで語り継がれる戦略を用いて
現代でも参考となる事の多い、とんでもない戦いですが 徳川家康は生涯、武田信玄を手本にしていたと思う
両者が得たものは、ほとんどなく
最強同士が戦い、消耗している間に
後の織田信長は才覚を出し始めたのですから。
だから歴史は面白い。
少し目を瞑って
450年前に思いを馳せました。
つづく
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