09.20
パグ子の軌跡
ほたるの事、ずっと 書こうと思いつつ
1年半以上も経ってしまいました。
2017/11 受診日
この日の血液検査は
決して良いものでは、ありませんでした。
ただ 食欲もあり、数値とは信じられないほど元気。
努力すればなんとか良い方向に。
そう 信じていました。
この日、担当の先生ではなく。
ほたるを我が家で引取る事を反対した先生。
「おばぁちゃんの子なら おばぁちゃんと過ごすのが幸せ。
頑張って線引きして下さい。」
2017/4月の手術後、腎不全が悪化し
1ヶ月以上の強制給餌を続けた時も
「もう無理矢理食べさせるのは やめて下さい
ほたるちゃんもazuazuさんも辛いだけ」
それでも私は諦めなかった。
ほたるの未来も。
食べ物を飲み込む力から
ほたるの生きる意志を感じていたから。
時間はかかりましたが、その後ほたるは回復し、
元気に車椅子に乗り、散歩にも旅行にも行くことができました。
あすかの時も
しばしば その先生にはキツいことを言われ
落ち込んで絶望的になったことも多々。
先生の言っていることは
間違っているわけではないし、
一生懸命、治療に尽くしてくれる先生。
私とは、考え方が違うのだと思います。
だからこそ、意見を求めることもありました。
その先生に車椅子を見てもらうのも、初めてでした。
「あれ? ほたちゃん 性格変わった?
病院キライじゃなくなったの?
こんなに穏やかな顔して!
おねーちゃんの子になって 幸せだね」
先生の言葉に、え? と思いつつも
やっぱり嬉しかった。
1/14 自宅皮下点滴。
12月に入って、食欲も徐々に落ち
強制給餌する日も出始め
自宅での点滴回数も増えました。
それでも数値は上がり続け。
1/3 祖母の家へ連れて行き
それが祖母との最後の対面になってしまいました。
1/18 自宅皮下点滴
1月に入ってからは、
朝病院に預けて静脈点滴をし、夕方迎えに行く。
そんな日が続きましたが、静脈点滴の効果もあまりなく。
こうなると病院でできることも限界。
通院間隔を空けて、自宅ケアの日を増やすことに
先生も同意してくれて。
点滴セットに加えて、何種類もの薬剤のアンプル。
自分の判断で調整して投与しました。
通院で体力を使わせるよりも
私の責任でカウントダウンに入る。
そう決めました。
強制給餌でせっかく食べてくれても
嘔吐と下痢との戦い。
それでも この日まで
ほたるの飲みこむ力は感じられていました。
1/19 朝からシリンジへの反応が
一気に弱くなりました。
栄養リキッドを飲ませようとしても
ほとんど飲んではくれなくて。
妙に冷静に あと1〜2日かもしれない。
そう覚悟したのが22:00頃。
でも その時は なんの前触れもなくやってきました。
いつものように
TVを見る母に抱っこされていた ほたる。
私は10mほど離れた場所に座っていました。
すっーと 部屋の空気が変わったのを感じたんです。
ほたる 息してる!?
2018/1/19 23:25
抱いていた 母も気づかないくらい。
穏やかに旅立ちました。
すばるもあすかも
最期の数日〜その時 は壮絶でした。
それは 私の精神が崩壊しそうなくらい。
それくらいの覚悟をしていたので
実にあっけない というか。
後日、病院へ挨拶へ伺った際に
先生からも「最期まで あの子らしいね」 と。
あすかちゃん ほたるちゃん
おねーちゃんの子になってくれてありがとう。
あなた達と過ごした かげかえのない日々は
本当に幸せでした。
2018/2/17 あすか嬢の命日に。
あすかとほたるへ。
コロンのままさんから、素敵なお花が。
コロンのままさんも、
今年の3月にコロンちゃんを見送りました。
今頃、みんなで遊んでいるかな?
それとも お昼寝かな?
何度経験しても 別れは本当に辛くて。
逢いたくて 逢いたくて
今でも 急に涙が込み上げる日もあります。
でも 虹の橋で待っていてくれるよね?
みんな一緒だから 淋しくないよね?
ほたるしゃん?
あなたは空気が読めないからね?
コロンちゃんとあすかねーたんに
しつこくしちゃダメだからね!
嫌われるんだからね!!
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